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第3話 苦しかったダービー、菊花賞を制し3冠達成。そして競走馬として完成の域へ。 皐月賞の一本指3冠宣言に続く、岡部騎手の2冠Vサイン。  野平祐二調教師は現役時代、1339勝をあげ、私が競馬を知り始めたころはジョッキーとして、一番油が乗り切っていた時代であった。スピードシンボリ、ヒカルタカイ、スイートフラッグ、スガノホマレ、ホッカイダイヤ、カーネルシンボリといった馬たちとのコンビで多くのレースを勝ってきたが、不思議とダービーには縁がなかった。25回騎乗して、ホウシュウエイトの4着が最高である。  野平調教師はホースマンとして41年目に巡ってきた初のダービー制覇のチャンスをシンボリルドルフの調教師として迎えることになった。  シンボリルドルフの13の勝ち鞍(くら)の中で、着差は菊花賞の4分の3馬身のほうが際どかったが、内容としてはダービーが1番苦戦を強いられたレースではないだろうか。  テレビでの観戦であったが、直線に入り、4、5馬身前を行くスズマッハ、スズパレード、フジノフウウンの3頭を、シンボリルドルフはとらえきれないのではないか、という思いが一瞬私の脳裏をよぎった。  しかし、それはほんの数秒後に覆された。シンボリルドルフが前を行く3頭に並びかけ、アッという間に抜き去り、2馬身近い差をつけゴールを駆け抜けて行ったとき、私の中にも信じられないものを見てしまったといった思いが駆け抜けていった。  ダービーを見てから、今後シンボリルドルフという馬はアクシデントでもない限り負けないのではないかと私は思うようになった。  実際、シンボリルドルフは強かった。セントライト記念から菊花賞を圧勝し、前年のミスターシービーに続き、史上4頭目の3冠馬となった。もはや同世代の馬たちは彼の敵ではなかった。しかし菊花賞から中2週で臨んだジャパンCで「皇帝」は初めて敗戦の屈辱を味わうことになる。このカツラギエースを逃がしてしまったジャパンCの敗戦は、下痢によって体調が不十分であったにせよ、敗因は展開のアヤとでもいうべきものであったことを、彼は1か月後のグランプリ・有馬記念できっちりと証明して見せた。  明け5歳になったシンボリルドルフは3月の日経賞をアッサリ逃げ切って、通算10勝目をあげ、春の天皇賞に向かった。  前年のジャパンC、有馬記念に続き、ミスターシービーとは三度目の「3冠馬対決」となったが、2頭が馬体を併せたのは4コーナーの一瞬だけで、直線はシンボリルドルフの独壇場であった。ライバル・ミスターシービーは5着に沈み、2着には追い込んだサクラガイセンが入った。 1984年11月11日、菊花賞。史上初となる無敗の3冠馬が誕生した瞬間だった。  この天皇賞での勝ちっぷりを見て、私はいままさに5歳になったシンボリルドルフが、競走馬として完成の域に達しつつあることを知った。  この年のダービーはモガミ産駒であるシリウスシンボリが勝った。シンボリ牧場は2年連続ダービー制覇の偉業を達成し、和田共弘オーナーにとって最良の年となった。  その後、宝塚記念を直前になって左肩跛行(はこう)のため出走を取り消したシンボリルドルフは笹針(ささばり)を施され、夏をじっくり休養し、6か月後の秋の天皇賞に登場した。  レースは、大外17番枠からスタートしたシンボリルドルフが、直線で逃げ粘るウインザーノット、ニホンピロウイナーを内から満を持して交わしたところに、大外からギャロップダイナが飛んで来て、交わしたところがゴールだった。  このレースでどうしても思い出されるのは、シンボリルドルフに魅せられて、彼を撮り続けた写真家の今井寿恵氏の写真集の中の一葉の写真である。そこには2着に敗れ、黒い大きな瞳に、いっぱい悲しみの涙をため泣いているシンボリルドルフの姿が写し出されている。  私はこの写真を初めて見たとき、シンボリルドルフという「天からの授かりもの」ともいうべき、たぐいまれな1頭のサラブレッドが抱え込んだ孤独の深淵を垣間見たような気がして、深い感動を覚えた。  1985年のジャパンCはシンボリルドルフ陣営にとって、昨年の雪辱と、前走の無念を晴らすためにもどうしても負けられないレースだった。そして、シンボリルドルフは勝った。内容は重い馬場もまったく苦にせず、直線で堂々と抜け出す横綱相撲だった。2着には桑島孝春騎手の水車ムチに応え、公営競馬の最強馬ロッキータイガーが、粘るザフィルバートを交わして入線し、くしくも中央と公営の最強馬同士の1、2着となった。  レースを終え引き揚げてくるシンボリルドルフとロッキータイガーの2頭を観衆の大きな拍手が迎えた。  ウィナーズ・サークルの記念撮影には、病気のため観戦できなかった和田共弘オーナーに代わって長男の和田孝弘氏、門別・シンボリ牧場の畠山和明場長などの関係者に交ざってひとりの外国人女性の姿が目を引いたが、この女性こそ「皇帝」の父パーソロンの生産者であるアン・ブリットさんであった。レース後の合同記者会見で、外国人記者たちから、 「見事な強さでした。もう国内でシンボリルドルフの敵はいないのでは…、海外に出かける予定はないのですか…」  といった質問が野平調教師に浴びせられた。野平調教師は慎重に言葉を選びながら、 「まだ、有馬記念が残っていますから。海外遠征については、それが終わってからゆっくり考えます」  と答えた。国内最後のレースとなった1985年の有馬記念でのライバルは、一歳下の2冠馬ミホシンザンだった。  ミホシンザンは春の皐月賞で、朝日杯3歳Sを勝ったスクラムダイナに5馬身の差をつけて圧勝し、ダービーこそ故障で出られなかったが、秋の菊花賞でもダービー2着馬スダホーク以下を下して、有馬記念に駒を進めて来た(ダービー馬シリウスシンボリは渡仏中)。  単勝1.2倍という圧倒的な支持を受けたシンボリルドルフは、直線まったくの独走で、盛山アナウンサーは、 「世界のシンボリルドルフが、日本のミホシンザンを交わします」  と絶叫した。  シンボリルドルフはミホシンザンに、4馬身の差をつけ、7つ目のG1を制した。もはや、シンボリルドルフにとって国内に敵はいなかった。

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安藤納得クロイツ3着〜菊花賞 2005年10月24日(月) 6時4分 スポーツニッポン  3着に敗れたローゼンクロイツだが、安藤は納得の表情。「力をつけているよ」と愛馬をねぎらった。これまでは中団より後ろで競馬をしていたが、この日は好位4番手を追走。「ムキにならずしっかり折り合っていた。ジャパンを早くつかまえに行きたかったが、後ろにはインパクトがいる。追い出しのタイミングは仕方ない」と冷静に振り返り、「勝った馬が強い」とディープインパクトの圧勝を称えていた。 [ 10月24日 6時4分 更新 ]

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