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第1話 早田牧場の野望 平成6年2月14日「共同通信杯4歳ステークス」年明け緒戦のレースは大雪のため翌日に代替開催。コース脇に雪が残るなか、格の違いで2着アイネスサウザー以下に馬なりのまま4馬身差をつける圧勝劇。 「社台を追い越して日本一の牧場を作る」  などと発言する生産者がいたなら、頭がイカレているか、とんでもないホラ吹きと揶揄(やゆ)されるのがオチであろう。  日本一の大牧場、社台ファーム。  どんなに強がってみようと、それは誰にも否定できない事実であろう。限りなく世界レベルに近い種牡馬(しゅぼば)と300頭を優に超える繁殖牝馬(はんしょくひんば)(平成9年には500頭あまりに増えている)を擁し、近代的な生産・育成施設をもつこの牧場は、実に30年以上もの長期に渡ってリーディング・ブリーダーの座を独占し続けているのである。  ところが、 「私は常にナンバー・ワンでなければ気がすまない男だ。だから、馬の世界においてもその座をつかみたい」  と公言する男が現れたのだ。早田牧場の早田光一郎にほかならない。  見るものを唖然(あぜん)とさせる豪快な脚で史上5頭目の3冠馬の座に輝いたナリタブライアンは、このような極めて野心的な男によって世に送り出されたのである。  ナリタブライアン誕生の背景には、無名の牧場が一流にのし上がるまでの、早田牧場苦闘の歴史が刻み込まれているといっていい。だから、これまでの早田牧場の歩みに触れないわけにはゆかない。  早田光一郎は福島の資生園早田牧場の長男として生まれたが、現状に満足することのない彼は、福島だけで馬産をやることに限界を感じていた(もともと早田牧場は福島にあり、福島は今でも名義上の本場である。現在の実質的な本拠地である新冠の牧場が、“資生園早田牧場新冠支場”という名称であることからもわかるように、あくまでも支部なのだ)(*1997年)。大学卒業後、カナダに留学して馬産を学んだのもそんな考えの一端であろう。ただ、留学といえば、ヨーロッパならイギリス、北米ならアメリカと相場が決まっていたのだが、あえてカナダを選んだのは、「成功するには人と同じことをやっていてはダメ」という彼独特の哲学によるものである。受け入れ先は、ノーザンダンサーを送り出したウインドフィールド・ファームに極めて関係の深いナッシュビル・スタッドであった。  1973年(昭和48年)、カナダ留学中の早田は、セリで2頭の牝馬を購入した。そのうちの一頭が、4歳から6歳まで3年連続でカナダの最優秀牝馬に選出されたモミジである。命名の由来は、国旗にもデザインされ、カナダのシンボルともいえるメイプル・リーフ(日本語ではすなわち“もみじ”)であり、早田がいかにカナダに愛着を感じていたかがわかるであろう。モミジの戦績は44戦12勝というもので、実に9つの重賞を制している。獲得賞金は30万ドル(当時のレートでいえば優に1億円以上の金額になる)近いもので、早田はその賞金で、北海道の新冠に土地を購入した。当時は“モミジ・ファーム”と名付けられたが、現在(*1997年)の早田牧場の一部であるのはいうまでもない。  北海道の日高地区に進出したのを契機に、早田は本格的な馬産事業に参入した。  当時の早田が行ったことは、大社台・吉田善哉の模倣であった。「他人と同じことをやっていてはダメ」といいながらも、日本一を目指す早田にとって、さすがに吉田善哉は避けて通れない存在であったらしい。また、早田自身、吉田善哉のやり方こそが、馬産の世界でのし上がっていくもっとも有効な手段という結論に達したのはいうまでもない。  社台のやり方とは、繁殖牝馬を購入して生産頭数を増やしていくという、拡張型の生産方式にほかならない。また、自前で種馬を導入し、商売の面でウマ味のある種牡馬事業を手がけることも不可欠である。そして育成まで手を広げ、総合的に規模を大きくしてゆくことも必要となる。このような経緯からもわかるように、早田が求めたものは、職人的な生産者としての成功ではなく、ビジネスとしての成功であった。  しかし、理想というものはなかなか実現できるものではない。当初、早田が輸入した種牡馬たちは、画期的な成功とは無縁であった。ダンサーズイメージ、ヴァイスリーガル、サティンゴをはじめとして、ホットスパーク、ハバット、マナード、カーホワイトといった種牡馬の成績は、競走成績の割には案外といわなければならない。それだけに、早田牧場の生産馬に大活躍を望めるはずもなく、低迷していた時期も長かった。早田はきびしい現実の洗礼を受けていたのである。そんな早田を「大ボラ吹き」とコキ下ろす声が出ていたのは想像に難くない。  けれども、早田自身は決して方法論が間違っているとは思っていなかった。これまでの自分に不足していたものは、馬を見極める眼力や経験だという結論に達したのである。だから、種牡馬に関してもこれまで以上に良いものを求めて世界中を歩き回った。繁殖牝馬に関しても同様である。  そんな努力がようやく実を結び始めたのは、昭和60年代後半から平成初頭の頃であろう。ポツリポツリと重賞勝ち馬も現れ、平成3年には念願のクラシック・ホースを送り出すことに成功した。菊花賞を制したレオダーバンである。  この頃になると、早田牧場は一流牧場の仲間入りを果たしたといっていいだろう。レオダーバンから2年後の平成5年には、最強馬候補の一頭ビワハヤヒデを送り出し、早田牧場の名声を不動のものにした。また、早田が輸入した種牡馬のリヴリアも、皐月賞馬ナリタタイシンを出すなどして大成功を収め、社台のトニービンとともに旋風を巻き起こしている。早田牧場自身も、敷地面積が250町歩(本場、分場、シービースタッドを併せて)を越え、80頭を超える繁殖牝馬を抱える大牧場に成長していた。  けれども、早田はまだ不満であった。  確かに牧場の総合的な成功は、一応果たしたといえるであろう。だが、まだまだ社台は遠いのである。ナンバー・ワンを目指す男にとって、2番手で甘んじることは許されないのである。  それとは別に、もう一つの課題が残されていた。競馬の世界における最高のレース、すなわちダービー制覇にほかならない。かの社台ファームにしても、ダイナガリバーがダービーに勝つまでは、「日本一の牧場だなんて威張っていても、所詮(しょせん)ダービー馬を出していないじゃないか」と、さんざん陰口をたたかれていたのである。ダービーに勝つことは、やはり一流を目指すものにとって避けて通れない宿命であった。  しかも、早田は、 「牧場を始めたからには10年でダービーを取る」  とさえ豪語していたのである。だがダービーへの道は険しいといわなければならない。ビワハヤヒデがクラシック戦線で活躍した時は、早田が馬産の世界に身を投じてすでに16年の歳月が経過していた。

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Dインパクト快勝で3冠 競馬の菊花賞 2005年10月23日(日) 17時18分 共同通信  第66回菊花賞(23日・京都11R3000メートル芝16頭、G1)1番人気のディープインパクト(武豊騎乗)が3分4秒6のタイムで優勝。皐月(さつき)賞、ダービーに続く3冠制覇で、賞金1億1200万円と3冠ボーナス1億円を獲得した。  3冠馬は1994年のナリタブライアン以来、11年ぶり史上6頭目。無敗の3冠達成は84年のシンボリルドルフ以来、21年ぶり史上2頭目。  レースは2周目4コーナーを回ってから2番手を追走したアドマイヤジャパンが一気に抜け出したが、折り合いを欠きながらも7番手を走ったディープインパクトがラスト100メートルから先頭を奪い、粘るアドマイヤジャパンに2馬身差をつけて快勝した。3着は4馬身差でローゼンクロイツだった。  払戻金は単勝が100円、枠連の(3)−(4)は410円、馬連の(6)−(7)は1290円、馬単の(7)−(6)は1320円、3連複の(4)−(6)−(7)は2730円、3連単の(7)−(6)−(4)は7090円、ワイドの(6)−(7)は620円、(4)−(7)は230円、(4)−(6)は1720円。 [ 10月23日 17時18分 更新 ]

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